2021.12.13(月)
千手山(浄福寺城)は「尾根全体が居住の為の城というより、要塞化された砦」である、・・・ 道理で・・・
低山のわりに変化が多く面白いらしい千手尾根。標高は300m程度だし、浄福寺からの南尾根はわりに歩かれているよう。道標なくても、尾根道だものどうにかなるでしょと甘く見て、ウラ山グループを誘い、のんびり出発、スタートの浄福寺着は10時半だった。
浄福寺は立派なお寺で、しだれ桜の名所とかφ(.. )。境内にはお城マニアらしき男性2人が逍遙、私たちも「市史跡 浄福寺城跡」などの掲示を読んだり、紅葉のモミジを眺めたりしてから、歩きはじめた。

白山大権現お堂からのジグザグ道には、西国霊場○番御詠歌の石仏が点々と置かれ、ラスト①は観音堂だった。

この先がいよいよ山の道。千手山までの尾根道はたった20分だけど、
意外や険しく、落ち葉の深く滑ること。時々堀らしい溝もあったりで、山城らしさを感じる。

あっという間の山頂には、一段高い土塁があり、西側・北側は切れ下ちている。
土塁の上に、三角点・石祠がある

千手尾根を西に向かうには、いったん南におりて土塁を回り込み、怪しげな細尾根を辿り尾根に乗る。
照葉樹林を注意深く行くと、前方が突然開け、広大な伐採地にでた。

強い陽ざしに目が眩む。凸凹の下りは急でザレて滑り落ちそう。手がかりを確保しながら、慎重に下りねばならず緊張した。
伐採地を過ぎると杉檜や照葉樹林のハッキリした道。ピンクテープが上がってきて尾根に沿う。このテープはどこから来たのか?。

15分ほどで小津峠に着いた。朽ちかけた小さな表示が2mほどの高さに架かっているが目立たない。
小さい峠名表示 おわかりですか?

左右から、ハッキリした峠道が上がってきている。今も使えるのか?
小津方面の峠道
来た道を戻り、先ほどの伐採地の目星をつけたピークでランチにする。
いっときパラパラと盛大に木の葉が舞い落ちる。賑やかで晴れ晴れしく森の妖精たちが大騒ぎしているよう。

眼下には陣馬街道沿いに可愛い景色が広がっている。かの浅川?は、童話の小川のように光りながらくねっている。

ゆっくり休んで後は戻るだけ。千手山手前で魔が差し、土塁の山頂に直接上がってしまった。手がかり掴んでグイグイの力仕事を、10分もしないで山頂に出た・・と面白がったのは私だけ? 後続メンバーには、少々苦労させてしまったようだ。

千手山からは北東に延びる尾根。最初の堀切は顕著で、下るには注意が必要、
次の二つはたいしたことはないが、戦国時代はもっと深く切れ下ち、越えるのに苦労したろう。

え、また堀切?と下っていく。何かの調査らしき緑の網が点在、そして行き詰まる?
コンパスを見たら北を指していた。ハッとして右側を見れば、良き尾根が下っている。間違いはさっきの堀切の所だと慌てて戻った、
やがて左に採石場を見下ろす。鉄線が境に張ってあり勾配もあり、かなりな細尾根だ。「聞いてなかったよ」とぼやきたくなる。

穏やかなアップダウンに戻り、休憩できる場所はないか、あのピークがいいんじゃない?と登りかけるが、右に巻き道があったのでつい・・。主尾根と合流点で腰を下ろすと、まあちゃんがコーヒーを入れてくれた。
午後の太陽の位置が気になりコンパス、あら、さっき巻いちゃったピークから別の尾根に下りるんだった。
5分ほどでピークに上がり現在地確認。OK、北東におります。

きょうはあと一回尾根分岐をクリアすれば良い。歩きよい里尾根をスイスイ下り、次のピークは右に行くべし。
と分かっていたが、探す前に左の尾根が歩き良さげに下りていくし、お里はすぐ下に見え隠れ。
誘惑に負け左の尾根をぐんぐん下ると、荒れ地に出た。

適当に下るとオレンジ色の建物が見え、金網でガードされていた。扉があったが鍵が架かっていた。金網沿いのスキマをすり抜け(下写真)、畑のシシ柵も越えて車道に下り、やっとほっとする。

オレンジの建物は恩方老人ホーム。下りるべきだった尾根が老人ホームの向こうにのどかに延びている。
まっ、いいか、無事下りられたし。
ということで 3時間強のハイキングだったけれど、もっと歩いた気がする。
小さいけれどバリエーション、その意識がなく完全なる準備不足、反省点は多々
でも楽しい一日だった。快晴にも恵まれたし。
今後、力石峠から千手尾根完全踏破してみようかな?
でも杉林だけだったら、苦労のわりに面白くないかな?とか 考え中です。
参考 山を要塞化! 東京を代表する山城・浄福寺城
では また~ (^_^)/~
山域別レポ一覧は
あしあと へ
最近のコメント