2008年11月15日 (土) 晴れのちくもり
11月初旬は恒例の、笹一酒造に降りるショートコースの山旅。
ことしは こんなサプライズがありました 
最初に現れた『空中索道』のヤグラ跡
本社ヶ丸や鶴ヶ鳥屋山の南、三ッ峠の北にあたる大幡川沿いにバス停「宝鉱山」があります、近くに「宝の山ふれあいの里」、おととしは鉱物採集する中高生科学部に出会い、水雲山の芳名簿には宝鉱山労働者の名前が連なり、とか、……「宝とは?」「鉱山とは?」と気になってはいたのです。
地図には、本社ヶ丸~鶴ヶ鳥屋の稜線上にヤグラと書かれたピークがあり、その南に異様な凹み岩記号があります、「宝鉱山」はどうやらここらししいと目星を付けました。

高い空には一点の雲もない素晴らしいお天気。
都留市駅から宝鉱山行きのバスに乗り終点までゆきます。
停留所のお向かいの細道を入るともうそこは「宝の山ふれあいの里」、
センターやコテッジやグランドなど、整備された道を北上していきます。
← 『御座石』
日本武尊ゆかりの石という
「御座石」という地名はこの石に由来しているのだろうか?
『宝鉱山共同浴場跡』→
ン十年前には この広場に 鉱山で働く人たちの共同浴場があったということでしょうか?
宝鉱山
宝鉱山の鉱床は硫化鉄鉱の大塊鉱で、明治5年、宝村の岩村善五衛門が赤棚沢で鉱塊を発見したのに始まるといわれている。
その後、明治23年4月、村民安田盈房ら有志により、大幡山字本社沢銅鉱を開抗するため「鶴鳴組」と称した組合を結成して採掘したが長続きせず、明治27年、東京の鈴木政吉が稼行するに及び坑道の開さくを進め、製錬など試みたが成功せず、明治31年には石井千太郎の所有に帰したが、同36年に至り三菱合資会社に譲渡した。
三菱の鉱業経営は、日清、日露の両戦争を経過して、我が国の産業は重工業化に向って次第に転換した時期で、それに対応して大きな伸展を迎えた。
第2次世界大戦中は軍需工場の指定を受け、食糧事情の苦しさの中で増産をつづけながら終戦を迎え、三菱金属鉱業宝鉱山と改め経営をつづけたが、貪鉱となり経営が悪化したため、昭和45年10月、採掘80年にわたる宝鉱山は閉山した。
中央線笹子駅までの鉄索工事は、明治41年に着工し、42年に完成した。
(都留歴史倶楽部サイトより)
本社川橋を渡り、川沿いの道を登って行きます。
堰堤に赤く錆び付いたような色は、鉱山の排水によるものだろうか? そんなことを考えながら歩いていきます。
すると右手に黒光りする岩が、
これは明治時代の銅の精錬滓(カラミ)捨て場だそうです。
↓左 丸いのは銅を溶かした容器の形かな??
↓ 右 緑色の綺麗なのはなんの石ダロウ???
「←登山道」と書かれた左折の道を見送り、なおも沢沿いの車道を道なりに行きます。
黒いパイプが2本、沢沿いに敷設されていて、「いったいなんのパイプだろう」と不思議がりながらさらにいくと、かの黒パイプを積んだトラックが停まり、作業の方が、いろいろお話を聞かせてくださいました。
(記憶力怪しき故、間違っているような気もしますが)
「宝鉱山? そうだよ、この道を辿れば ダム(大堰堤)があって横に階段があるからよ、どんどん上がれば 鉱山に出られるけんど、くれぐれも穴には入ってはダメだ。 空気が悪いで、出てこられなくなるでよ」
「鉱山にはまだ悪い水がでるでよお、この上でコンクリで固めて、水が外に出ないようにしているがよお、雨が降れば地下水がたまっちまうで、このパイプで地下水を引いて、下で中和してから川に流しているだ。 こん作業は永久に続けなきゃならないので、山梨じゃ、”負の財産”ちゅうってるだよ」
「あのころは 公害などとうるさく言われてなかったから、まぁ 会社はうまく逃げてしまったったわけだわ」
「昔はこの川は汚れていたけんど、今はすっかりキレイで、でっかいヤマメも釣れるだよ」
「すぐ上が選鉱場でよ、みな下から通ってきただよ。 弁当もって朝4時頃には出かけただ」
リアルな話に がぜん 宝鉱山に興味が湧いてきました。
少し上の雑木林は地ならしされたような平地です。つまりここに 何棟もの工場が建っていたということでしょう
← 毒水を閉じこめている牢屋のダムです。
脇に柵がしてある坑口があり、左にはさらなる鉱山に上がる急階段が取り付けられていました。
急階段に沿って、排水の黒パイプがうねうねと敷設されています。
階段が終わると急斜面はヤブになります、錯綜する薄い踏み跡を追ってヤブの中を登ります。晴れていて良かった。 こんなヤブ斜面、霧や、ましてや雨の日なら来る気は起こらないでしょう。
そして坑口で道は終わり。とりあえず水を飲み、ふううう、息をつきます。
ふり返れば いい色の山々が日差しに照らされています。
三ッ峠がぽっかり、あまりにも静かな、人の気配が消えた、不思議な空気、
いえ、いえ、ガサガサ、周りの森が騒がしい。
猿だ、猿の大集団が 「来るな来るな」と 吠えたりかけずり回ったり大騒ぎ始めました
さてわたしたち、道はなし、どうしましょう。
そのとき沈着冷静なお方が、「こっちこっち」 呼ばれてみれば、岩の上。
うおおおっーーー こ・れ・は!
切り立つ岩に乗ればその下に、ぽっかり開いた大きな穴
下の写真の真ん中に白く光っているのが 『露頭』
(先ほどの階段が終わったところで、わたしたちは 右の排水路にそって上がってきましたが、左に沿っていけば、露頭のところに出られたらしいのでした。)
ともあれ、採掘によってできた断崖絶壁の、上に立てば、周りの山山の雑木は葉が落ちふんわかとした柔らからさ、所々鮮やかな紅葉の塊が点在し、松の緑も点在し、
鋭角に切り取られた岩の奇観と相まって、摩訶不思議な感動を呼びます。
あいかわらずお猿たちが 忙しなく動いています。右往左往しながらしきりに吠えています。
真下の露頭のあたりにも行ってみたい気持おおありですが、、きょうは鶴ヶ鳥屋山、
そして笹子側に降りなければなりません。
ということで、エアリア・高尾陣馬地図の黒破線の尾根に乗りました。
トップに載せたヤグラ跡(鉱石を笹子駅まで運んだ空中索道の跡)などが、点々とあり、わたしたちは、かつての索道の跡を伝っていった感じです。
落ち葉に覆われた、ステキな尾根です。
ほとんど散り終えた雑木と、真っ赤なモミジ、ミズナラ、が点々と彩りを灯し
一基、二基、三基・・・
ヤグラの残骸は、崩れ落ち、風化するままになっています。
電線のワイヤも、碍子も、電信柱の跡も。
放っておかれかた、自然な崩れ方が まわりと不思議に溶けこみ、
独特の情緒的な景色になっているのでしょう。
いつの間にか空はすっかり雲に覆われ、静けさがぐんと増していました。
1340m峰にあがると 本社ー鶴ヶ鳥屋山の稜線、今来た尾根方向に「宝銅山→」とあるのが、なんとなくローカルなリアリティ、ほほえましい。
すぐ東下が地図上のヤグラ、ヤグラの残骸があります。
本社ヶ丸~鶴ヶ鳥屋山の稜線
木々を愛で、落ち葉の広がりを愛で、タカノツメの香りを楽しみながら歩きます…
年寄りブナのウロをのぞいたり、リョウブかナツツバキかを判定しあったり、順調に東へ東へ、
渋いって表現がぴったりな、尾根道。深く静かで穏やかな…
そして
「いよいよ 鶴ヶ鳥屋だわ」と一気に登り詰めれば ニセピーク。
「さ、今度こそ!」 自信あったのに偽ピーク、あ~あ騙され、また騙され、結局 到着まで、ヤグラから小一時間かかっていました。
鶴ヶ鳥屋山
だれもいません。
曇り空、霧さえかかっているのに風がないせいか、ほんわかした雰囲気。
時間もあるので 広い山頂でのびのびランチを楽しみました。
下山は最短の 2年前と同じルートにて。
前回より落ち葉道が涼やかな気がします。
黒野田林道を横切り、ふたたび尾根に乗り、標高1000mあたりが紅葉の美しいところ、晴れていたらもっと輝いて見えたでしょう。
前回ヤブっぽかったヒノキ林には枝打ちが入っており、おかげで多少楽をしながら、無事、笹子(笹一酒造)に降りることが出来ました。
では また~ (^_^)/~
山域別レポ一覧は
あしあと へ

【コース】都留市 08:20→(420円)宝鉱山 08:40-公害防止ダム 09:55-黒破線尾根 11:00-ヤグラピーク 11:50-鶴ヶ鳥屋山 12:45/13:30-黒野田林道 14:15-笹一 15:20-笹子 17:33
【地図】昭文社:大菩薩 高尾陣馬 2.5万:河口湖東部 笹子
最近のコメント