あおぞら*博物館
2008年7月14日 (月) 晴れ
あおぞら*博物館には展示物を並べる建物がありません。
ふつうの博物館は、展示物を集めて並べる建物ですが
あおぞら*博物館の場合は 「展示物」のところに
わたしたちが訪れ、 見たり聞いたりするのです。
それは歴史をものがたる遺跡であったり、
地域の古老のお話であったり、
昔からの伝統 や しきたり、
そこに暮らす人々の生活ぶりであったりします。
生活はその土地の自然,と深くかかわっていることも知るのです。
・・・ですから 見る人の意識によって見えるものも違ってくると思う (^^)
ホンの一例、
◇◇◇◇川尻石器遺跡
敷石住居跡が発掘されたことで国指定の文化財になっています。
土器石器住居跡が発見され調査ののちは埋め戻され、ただの原っぱになるのです。
この夏も発掘調査が行われています。
木立の向こうには相模川が流れています。
水のほとりで 人々は暮らし始めたということがわかります。
雨の降ったあと、表土が流れて、土器のかけらが露出します。
教科書に出ているような、模様があったりするのを見て・・ほんとに 昔の人もここでくらしていたんだ、としみじみ思います。
◇◇
大正寺にある 百体地蔵
江戸~明治にかけて この地区は栄えました。人々の信仰の篤さと富の象徴です
百体地蔵は それぞれのお顔で それぞれのお姿です。
・涼しくなったらスケッチをしてみたい。お地蔵さまを写している時間は、お地蔵さまと語らっている気がします。
下↓ は 近くの清滝不動
百体地蔵と同じ石工による お不動さまと龍。
ユーモラスな表情に惹かれました。
◇◇◇◇
そして現在
津久井発電所
この地域では、一番古い発電所とのこと。
右→ は、明王坂という相模川に通じている昔からの道。
もしかしたら古代のひとはこの道を使って、住居などの石を得ていた?のではないかといわれています。
今は 鉄門ができ 通行止めになっていますが。
上↑ の写真の山の下が茶色くなっているのは、圏央道のICの工事をしているからです。 どんどん 景色が変わります。
そして 目には見えない地下の水脈も変わっているのでしょう
← 横浜水道、初期の水管のトンネル(今は使われていません)
明治時代に作られ、そののち赤煉瓦造りになりました。その煉瓦がツヤツヤ美しい、ということは 上質の煉瓦を使ったということでしょう?
← 当時の 水道に対する気合いを感じるのです。
◇◇◇◇
あまり人も歩かない、道には 野の花が咲いています
煩いほどに蝉が鳴き
ちょうが舞っています。
小鳥のさえずり、
草むらには へび
そのどれもが いとおしい。
みんな みんな、次の時代に受け継がれなくてはならない たからもの ですもん
* 「あおぞら博物館」はわたしが勝手にそうよんでいるだけ 。
正式には 「エコ ミュージアム」 といいます。
城山町エコミュージアムを育てる会
042-782-1111(相模原市教育委員会城山教育課)
ではまたね (^^)/~~~
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